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こんにちは高糸です。
みなさんお忘れの事かと思いますが、、
高糸はこう見えても、当サークルのシナリオ担当者でございます。
シナリオ担当者とは、シナリオを考えている人の事だと思いますが、
高糸も瞳孔と口を開けながら、シナリオを考えております。
シナリオだけ考えていても、才能の無さで作業進行は遅れがちになるのですが、
『全方位分散型好奇心レーダー』を装備している高糸。
それがあらゆる刺激に反応し、世の中の大いなる小さい謎、
その探求(妄想)へと引き寄せられていくのです。
それらの大半が「得体の知れない妄想」や「非生産的な夢想」でしかないのですが、
それを理解したうえでも、小学1年生の通信簿で『落ち着きがない』
と書かて以来、電源が入りっぱなしの「暴走好奇心」、
それを眠らせる方法は未だ発見されておりません。
こんなに忙しいのに余計な事を考えるな!
自分でもそう思うのですが・・・。ヤメラレナイ&トマラナイ。
そしてまた、忙しい時期に限って、本当にどうでも良い疑問がわいてくるものです。
世に言う、大掃除の時の昔のアルバム状態です。
で、今回は何に反応したのかと言いますと。
先日、「ひぃ〜忙しい〜忙しい〜ひぃ〜ひぃ〜」
などと言いながらも、数人の友人と遊びました。
「どう最近の調子は?」
よくある話題。
「いや、結構忙しくてさ」
よくある答え。
その後に何でもない会話、そしてご飯を食べて帰ってきたのですが、
帰り道、なにやら不思議な感覚を覚えます。
この感じは何か新しい疑問が生まれかかっている時、特有のもの。
一体何に疑問を感じたのかと言いますと、
あの場で、高糸を含めた全員が口に出した「忙しい」という言葉。
決してそれを望んではいない、だけど否定もしない。
そんなニュアンスの不思議な言葉です。
「忙しい」とは一体なんだ?
なんで忙しいと感じるのか?
その忙しさの程度は別にしても、忙しいと感じるには何か理由があるはず。
その忙しさの原因が何であるのか?
原因・・・。ということは、何かの為に忙しいわけだから、
その何か(目的)を探せば良いのか?
しかし、目的というものは人それぞれであって、
程度と同じように追求して考えてみても意味はないような気がします。
それこそ、仕事に趣味に生活にと細分化された無数の目的があるでしょうから。
では、忙しいと『感じる』原因は何か?
マクロな視点で考えると、
社会学・心理学・哲学まで登場しちゃいそうで、
このテーマの巨大さに恐怖を覚えます。
ここはひとつ、ミクロな感じでいきましょう!
一番手ごろなDATAは自分自身。
これぞまさしく自問自答。
いつから自分は忙しいと感じていたのか?
過去を振り返ってみると、
ずっと忙しかったような気がする。
それは望まないことなのか?
難しい問題ですが、暇が欲しいとか、
ゆっくりと何も考えずにゴロゴロしていたいなどと
思うこともある。
それを回避するために何をしたのか?
その時々で目的をクリアしているつもりなのに、
次々と新しい忙しさが湧いてくる。
忙しいことで何かが犠牲になっているのか?
忙しさが無ければ他の事に時間を使えるし、
ゆっくりと過ごすことができる。
では、今、全ての忙しさを排除したら何をする?
ゆっくりと休みゴロゴロする。
休むことに飽きたら、何か興味のあることを見つける。
興味のあることを見つけてそれに時間を使えば、忙しくはならないのか?
・・・なるかも。
・・・と言うことは、
忙しいという事は、自分がそう在りたいと選んだ状態を指す言葉?
少し乱暴な気もしますが、
極論を言えば、忙しさを望むから忙しい。
ということになるのでしょうか。
てっきり忙しさには『義務』に似たニュアンスを感じていましたが、
今考えてみると『権利』に近いものなのかもしれません。
これは一般的な感覚での思考ですので、
世の中には本当に義務としての忙しさを感じている人もいるかと思います。
ですが、すくなくとも私が感じてきた忙しさは、自ら選んだもののような気がします。
では、自分で選んだことなのに、何でわざわざ友人に忙しいと言ったのか?
あれは社交辞令?慣用句?それとも合言葉?
・・・私は元気だよ。がんばってるよ。変わりないよ。
もしかしたら、そんな意味で使ったのかもしれませんが。
う〜ん。言葉のニュアンスって難しいですね。
ですが、ここまででひとつ解ったことがあります。
こんなどうでも良くて、くだらない事を考えている私は
決して忙しくはないということです。
次に友人に会ったときに訂正しておきます。
長乱文、失礼しました
それでは、まだまだ暑い日は続きますが、
みなさんも体調にはお気をつけください。
ではまた
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